ここのところずっと「好き」ってなんだろうって考えている。
これは世間一般的にいう恋愛感情とかではなく、応援しているアイドルに対して抱く「好き」の気持ちについての話。
私にとって〇〇担と名乗ることは大きな大きな意味を持つ。名前団扇をもってコンサートに行くことも大きな意味を持つ。なぜかというと〇〇担と名乗ることは自分にとってアイデンティティの確立だと思っているから。その人が好きだと公言することも、もしかしたら本人の視界に入るかもしれない場所で、その人の名前の団扇を持つことも、自分の意思表示だと思うので安易な気持ちで出来ることではないと思いながらオタクを続けてきた。この時点でだいぶ「好き」という感情が重たい感じになってしまっているのが伝わることでしょう……
勝利くんのことが好きだから、勝利くんから生み出されるもの、勝利くんが見せてくれるもの全部全部好きだと思っているけれど、これは「好き」のフィルターがかかっているんだろうなと自分でも思う。好意がない状態で彼の生み出すものはどう見えるんだろう、とか、それでもなお好きだと思えるものなのか、とか。考え出したらキリがないんですよね。そもそも、オタクじゃない人からしたら「彼の生み出すもの、見せてくれるものは全部好き」なんて思うこと自体、割と異常な感情に見えるのかもしれない。だって恋人だって家族だって、少なからず嫌なところの一つや二つあるでしょう。それが見ず知らず(直接的なかかわりはないという意味です)の人の「全部が好き」と思えるなんて、ちょっと普通じゃないよね。気持ちも重たいしね。
これまで私が見てきた年月の積み重ね。受け取ってきた感情。それこそが呪いのように心臓に張り付いていくんだと思う。簡単に自分で解くことは出来ない、「好きの呪い」
まさにこの言葉通り。自分で解こうと思っても解くことなんか出来ないものなんだろう。それくらい「好き」に宿るパワーは大きくて無限大で、少し怖い。
ドームでもこれを突き付けられた瞬間があった。
何度も何度も聞いてきた彼らの曲のワンフレーズ。何ならジュニアに擦られ過ぎて、はいはいまたこの曲ね~みんな好きね~なんて思っている時期もあったのに。
「忘れさせてもくれなくて むしろ忘れたくなんかないって 身体でも頭でもない心が言うのです」
この歌詞を歌う姿を見て、反射的にぶわっと涙が溢れた。自分でもどうしてあんなに泣いていたのかわからないけれど、ただただ涙が止まらなかった。すごく好きだと思って、どうしたってこの人が好きだって思って、それからずっと、このフレーズを歌っている瞬間の表情と仕草が脳裏に焼き付いて離れてくれない。この曲を歌う姿を初めて見たわけでもないのに、どうしてあんなに泣いたのか未だにわからないけれど、あの瞬間を思い出すと今でもぎゅっと胸が苦しくなる。
あ~~~~~好きって怖いな。今までだってずっと好きで、好きで居続けて、好きを募らせ続けて、これ以上好きになったってどうしたらいいかわかんなくて、それでも好きでいることはやめられないなんて、本当に呪いみたいだなと思う。
アイドルは虚像だなんてそんなこと嫌というほどわかっている。大勢のファンを抱えていて、一生1:1で向き合うことなんて出来ないのもわかっている。なのにこんなにバカでかくて重たい感情抱えちゃってどうしたらいいんだろう。この感情の行きつく先は一体何になるんだろう。考えてもわからないし、答えなんて出ないし、彼以上に好きになれる人なんてきっといないだろうし。
やっぱり「好き」という感情は呪いだろう。
でも私もきっと好きな人に対して呪いをかけてしまっている。
「幸せでいてね」という、一見あたたかい言葉に見える呪い。
そりゃ好きな人には幸せでいてほしい。苦しむよりも笑顔でいてほしい。でもそれも全て私のエゴだ。「幸せでいて」って思っているけど、どんな選択も背中を押したいと思っているけれど、実際自分の想像と異なるものを「幸せ」だといって選択されたら、どう思うかはわからない。あくまでも「私が願う形での幸せ」でいてほしいだけ。そんなの、相手の為を思ってでもなんでもない。
それでも、やっぱり好きな人の幸せは願いたい。
自分勝手なエゴでも、呪いでも、どうしたって好きな人は世界で一番幸せでいてほしいから。
好きを抱えて生きていくって難しいな。